天下無双の究極遊戯

Vtuber戦国時代を斬り進む尾張の女武将

大量受9悩処

新たなる衝動に、児嶋は苛まれていた。
先日のような、寿司が食べたいなどという生半可なそれではない。
なにもかもをかなぐり捨てて、成就したいと願うほどに膨れる欲求は、日に日に勢いを増して全身を――否、心までをも蝕んでいく。

「……ッ、は……」

真夏の日差しが燦々と降り注ぐ歩道を、首元のネクタイを緩めながら児嶋は足早に急いでいた。
情けがない。だが、限界が近づいているのも事実であった。
とうとう他人から指摘されるほどに、児嶋は理性を失いつつあるのだ。
幸い、それはただの体調不良と解釈されたようで衝動の真意を第三者に悟られる事はなかったが、このままではいつか、秘め続けてきた欲求を人前で曝け出してしまいそうで怖かった。

「どうして、こんな……」

家路を急ぎながら、児嶋は奥歯を強く噛み締める事でどうにか沸き上がる衝動を堪えようと試みる。
――人の性行為を覗きたい。
いつからか、そんなはしたない欲求に理性を乗っ取られ、寝ても覚めても淫靡な妄想が頭から離れなくなってしまったのだ。
性に関しては、人と比べて淡白であると自負していたし、実際に他人からあまりにもそれが希薄であると指摘される事もしばしばある。
そんな自分が何故、唐突にそんな欲求を抱えてしまったのか――心当たりはもちろんない。
なにか刺激的な経験をした覚えもなければ、醜い下心を思わずそそる様な光景に出会った記憶もなかった。
それは突如、まったくの空虚からふっと湧き出て、児嶋のすべてを支配してしまったのだ。
――窃視症。この病を抱える患者を精神科医として児嶋は何人も診てきたが、まさか自身が患うとは思ってもみなかった。
衝動を自覚して以来、何種類かの抗うつ剤を服用し、治療を試みたがまるで効果はない。血中濃度を下げて性衝動を抑え込む強力な阻害薬さえまるで役に立たず、膨れ上がる淫らな感覚にただ身悶える事しか出来なかった。



ようやく家に辿り着きはしたものの、窃視の欲求は一向に晴れなかった。
あらぬ妄想に取り憑かれ、爪先から甘い痺れが駆け上がる。
このまま自慰に耽ってしまいたい衝動をどうにか堪えると、何か気を紛らわせる方法はないかとふらつきながらマンションの室内を見回した。
まず目についたのは、カーテンの閉ざされた窓だ。
上層階とはいえ、そこから見えるものと言えば向かい側に立ち並ぶ他のマンション棟くらいのもので、心を落ち着かせる絶景などは見えるはずもない。
だが、児嶋の指先は知らず知らず、カーテンへと伸びていた。
今の児嶋にとって必要なものは、癒しの風景などではなく「覗ける場所」なのだ。
繁華街にほど近いこの場所は、夜を生業とする水商売の女たちが多く住んでいる。
もしや、昼間から情事に耽っている姿が見られるかもしれない――。

「……ッ」

だが、それを開く寸でのところで児嶋は理性を取り戻し、慌てて窓に背を向ける。

「迂闊に窓の外を見ることも出来なくなるなんて……」

目に映るすべてが、毒だった。
あまりの惨状に、児嶋はフローリングの上へとへたり込み、震える指先で深く皴の刻まれた眉間を抑え込む。
どうすればこの衝動から逃れられるのだろう。
目を開けている限り、否――目を閉じていても尚、眼前へと浮かび上がる淫らな妄想の数々に、いよいよ叫び出しそうだった。
なにか別のことを考えなければと、児嶋は懐にしまい込んでいたスマートフォンをふと取り出し、性衝動とは程遠い堅苦しい文章を求めてニュースサイトを開いてみる。
国際的な事件、株価、スポーツ記事。漫然とそれらを眺め続けた末、最後に辿り着いたのはサイトの隅に追いやられていた〝地域ニュース〟というカテゴリーであった。
――幽霊か。謎の音、住人による不安の声相次ぐ。
ふと、そんな見出しが目に留まる。
記事を読んでみると、どうやらこのマンションからそう遠くはないとある地域で、数週間前から異音騒ぎが起きているとの事であった。
記者は最後に「地下水などによる影響ではないか」という言葉でその騒動を締めくくっていた。

「幽霊の声、地下水……?」

瞬間、脳裏に不可解な映像が過る。
暗い階段を降りていく光景と、不安を煽るような音楽。

「今の光景は……」

なぜだろう、長らく窃視と性衝動以外の感覚を忘れていたはずの児嶋の胸に、奇妙な恐怖が沸き起こったのであった。



薄闇の中、妖しく蠢く肢体が二つある。
錆びた鉄格子の向こう側、固いコンクリート上にも関わらずそれらは思うがままに体勢を変え、求め合い、頽れ、肌を重ねていた。

「あ……」

律動の度に反響するのは、肉のぶつかる生々しい衝突音と、結合した粘膜から零れる淫らな水音である。
その響きを鼓膜で感じるたび、そして目撃するたび、狂気にも似た愉悦と悦楽が爪先からこみ上げて、全身へと波及した。
――ずっと、これが見たかった。
本能はそう叫んでいるにも関わらず、児嶋は眼前で繰り広げられる何者かの情事をただ茫然と眺めながら、嫌だやめてくれと自らの欲求を否定し続けている。

「よく見ろ」

そんな児嶋の耳元で、何者かが低く囁く。
繰り返す拒絶は、最早ないも同然だった。
促されるまま児嶋は目を凝らし、獣のように重なり合う肢体を更に注視する。

「……!」

肉食獣を連想させるような、屈強な身体に組み敷かれて喜んでいたのは――。

「どうして……」

悦楽に溶けきった、児嶋自身であった。



目を覚ました時、児嶋は自室のベッドではなくソファへとその身を横たえていた。
どうやら昨夜、テレビをつけたままリビングで眠りに落ちてしまったらしい。
液晶に映し出された情報番組によると、現在の時刻は午前十時を回ったばかりとの事であった。

「僕は、なにを……」

奇妙な夢だった。
自身が檻の中で他人と肌を重ね、乱れ狂う様を己で目撃するというはしたない夢。
だが、夢と呼ぶには妙に生々しさが残っているような気がして、児嶋は思わず身を震わせながら自らの身体を両手で掻き抱く。
あの薄暗い檻の中の光景と、本能のまま蹂躙される淫らな感覚に、何故だか心当たりがあるのだ。
同性との性行為など経験した覚えはないし、近頃では女性の肌に触れる機会すらめっきり減っていたというのに、どうして――。

「……は、ぁ……ッ」

途端、こみ上げたのは強烈な吐き気と、ほとんど飢餓にも近い欲情だった。
このままでは性衝動に飲み込まれてしまうと児嶋は慌ててソファから立ち上がると、外の空気を吸う為に最低限の身支度を整え、そのままふらりと自室を抜け出した。



自宅に閉じこもっていても、外を歩いていても結局のところは心が全く休まらない。
途方に暮れたような思いを抱えたまま、児嶋は休日の街をあてもなく彷徨い歩き、衝動のはけ口を無意識のうちに求めていた。
いっそのこと、覗き行為が体験できる風俗店にでも足を運んでみようか。
誰にも迷惑を掛けず、合法的に自らの欲求を満たす為にはそれしか方法がないと繁華街に足を踏み入れた、その時である。
夜の熱狂的な賑わいとは裏腹に、人通りの少ない色街へ差し掛かると、

「おい!」

鋭い男の声音に呼び止められ、児嶋は背後を振り返った。
そこに居たのは、質の悪いゴロツキのような、そうでなければ私服警察官か、はたまた自衛隊員だろうかといった屈強な体躯を持つ二人組の男だった。
浮かべられた彼らの表情から察するに、児嶋に対してかなりの憤りを抱いている様子である。逃げ出さなければ、刺し殺されかねないほどに物々しい。
だが、児嶋はあえて呼びかけに応じ、足を止めてその場に立ち止まった。

「……どちら様でしょう」

彼らは、この不可解な性衝動の答えを知っているのではないか。
根拠はなかったが、あのような風体の男たちに呼び止められなければいけない理由が、他に思いつかなかったのだ。
誰でもいい。なんでもいいから、体内に燻る窃視の欲求をかき消して欲しい――その一心で、児嶋は男たちの到着を待つ。

「……ッ」

二人組は児嶋の元へと駆け寄るや否や、こちらに抵抗の意志がないにも関わらずまったく遠慮のない乱暴な手つきで拘束を施し、実に鮮やかな連携でそのまま路地裏へと児嶋の身体を引きずり込んだ。
古いビルの壁にその背を縫い留められ、骨に鈍い痛みが走る。

「あそこでのことは覚えているか」

檻のように頑丈な男の腕の中でそう問い質されたものの、あそこが果たして何処なのか、全く心当たりがなかった。

「いえ、一体なんの話だか……」

やはり、自分の知らない「何か」が在る。それが自らの欲求を暴走させているのだと児嶋は確信したのだが――その「何か」が分からない。

「あの、教えて頂きたいんです」

自分は何を忘れて、何処にいたのか。
児嶋が尋ねると、男たちは互いに顔を見合わせてしばらく黙り込んでいたが、

「……ッ、かは……!」

返答は言葉ではなく拳によって繰り出された。
四十年近く生きてきて、腹を手加減なく殴りつけられた試しなど一度もなかった児嶋は突如訪れた鈍い痛みに膝を折り、そのまましばらく咳き込んでしまう。
ズキズキと、熱を持った鉄球を大腸に押し込まれたような強烈な痛みであった。

「手間かけさせやがって。臆病な逃亡者め」
「あの方の御前に立つ機会をふいにしたことを、後悔するがいい」

そう言い捨てると、男たちは蹲って身悶える児嶋を置き去りにしたまま、どこかへと姿を消してしまった。
命まで取られずには済んだことに安堵を覚えたが、肝心の疑念は晴れず、むしろ更なる謎を孕んで未だ沸き上がってやまない性衝動と共に燻ったままである。
どうやら自分はどこかから逃げ出した身の上らしいが、それに纏わる記憶は勿論、皆無だった。そもそも、誰かに捕らえられた覚えすらない。

「……ッ、あ……」

未だ鈍く痛む腹を抱えながら立ち上がろうとしたその最中、脳裏にふと過る光景と音楽。そして、昨日ネットで見かけた地域ニュースの内容――。
幽霊の声が夜な夜な響き渡るという、あの怪ニュース。もしかするとそこに行けば、何か分かるのではないだろうか。
恐らくすべての事情を知る男たちが姿を消した今、残る手掛かりといえばそれくらいのものである。
それに今朝がた見たあの悪夢も、フラッシュバックした地下水や階段の映像と続いているような、そんな気がしたのだ。

「行ってみるしか、なさそうですね……」

自らを奮い立たせる為、声に出して児嶋は呟くとようやくその場から立ち上がり、取り出したスマートフォンで再度、件の地域ニュース記事を確認する。
問題の場所は、ここから電車で二十分ほど離れた場所にある住宅街だ。往診で何度か訪れたことのあった場所なので、地図などを見なくとも大体の位置はおおよそ見当がつく。
児嶋はビルの壁面にその背を預け、痛みを落ち着かせる為の深呼吸を何度か繰り返したのち、意を決して路地裏を抜け出した。



件の住宅街へ辿り着いたその時、吐き気を伴うような強烈な頭痛が児嶋を襲った。
瞬間、瞼の裏へと蘇る記憶。
確か何者かに奇妙な薬を飲まされた後、自分は車でこの住宅街へ運び込まれたのだ、と。
あれは仕事帰りの夜道だったか、自宅マンションへ辿り着いた矢先、どこからか現れた黒塗りのバンへと数人がかりで引きずり込まれ、悲鳴すらあげる暇も与えられぬまま袖を捲り上げられ、腕に注射器の針を沈められた。
それ以降の意識は曖昧であったが、しかし――足が自然と、動き出す。

「僕は、ここで……」

朦朧とした意識の中、辿った道筋を児嶋は無意識のうちに辿っていた。
新築揃いの小奇麗な住宅街を抜け、辿り着いた小さな空き地。
その隅で口をひっそりと閉ざしているマンホールへと導かれるように手を伸ばしてみると、それは難なく持ち上がり、児嶋を更なる深淵に誘う。
その先に見えた梯子をふらふらと、しかし躊躇なく下り、更に現れた階段も下って辿り着いた先は、古びた牢獄のような場所であった。

「……っ、僕はいつ、こんな場所へ……」

ふと、昨日のフラッシュバックを思い出す。
薄暗い階段と、奇妙な音楽。夢と現の境界が混じり合い、溶けていく。
――同じ光景だ。
自分は以前にもここを訪れ、何かを行っていた。
だが、それを思い出す事が出来なかった。こんな場所で、何をするというのだろう。
頭痛は酷くなる一方であったが、児嶋はそれ以上の記憶を手繰り寄せる事が出来なかった。
思い出せないのであれば、もう一度、目の当たりにすればいい――。
不用心にも児嶋は檻に手を伸ばし、格子の隙間からその先の光景を覗き込んでみる。

「……!」

経のような不気味な音楽と共に、闇の中で蠢くなにか。
目を凝らしてみると、無数の裸体が横たっている床をを見つける事が出来た。
それらは男女無秩序に折り重なり、芋虫の如く蠢きながら切れ切れの声をあげ、情交に耽っている。
だが、そこに淫靡な趣はない。
虚ろで散漫な、しかし決して解消される事のない性欲に取り憑かれた人間たちによる性行為は、寄生虫に潜り込まれた動物のように当人たちの意志がまるで感じられず、不気味な儀式のようにも見える。

「抱いて」
「……ッ?」

その時、檻の隙間から華奢な腕が伸び、児嶋が纏うスラックスの裾を掴んだ。

「あの方の為、抱いて」

奇妙な魔方陣が描かれた床へと這いつくばった裸の女が、嗄れた声で懇願する。
若い女だというのに、まるで生気が感じられない瞳と、だらしなく半ば開かれた唇。
その口元にこびりついた白濁は、誰かの精液だろうか。
男たちと身体を散々重ねた後だという事が一瞬で見てとれる容貌であったにも関わらず、女は浮かべたその虚ろな表情とは似つかわしくない性衝動を、今度は児嶋によって発散しようと縋りついていた。
何故、彼らは、そして彼女らは、ここで果てのない情交に耽っているのか。
そして「あの方」とは一体、誰の事なのか――。
疑問は次から次へと胸にあふれ返ったのだが、しかし、児嶋はそれを口にすることは出来なかった。
湧きあがる恐怖と嫌悪感、そして悍ましくも狂おしいほどの熱に喉を遮られ、足元へと縋りつく女を拒絶する事も、受け入れる事も叶わない。

「おや、また補充せねばなるまいと思っていたが、自ら現れるとは」

その扉を開けるべきか否か、鉄格子に手を掛けたまま戸惑う児嶋の前に、今度は奇妙な出で立ちの男が姿を現した。

「よく見れば逃げ出した生贄か。生贄は嫌だが、こちら側が羨ましくて戻ってきてしまったか」

その手に古びた刀を下げた壮年の男。彼の声には、聞き覚えがある。
それは今朝がた見た夢の中、自らが乱される姿を「よく見ろ」と窘めた男の声と同じだった。
不可解な性衝動を児嶋に植え付けたのは、彼なのか。
だが、それすら問い質す事も出来ないまま、児嶋はとうとう格子の扉を押し開け、男の存在に導かれるかの如くふらふらと、禁断の地へ立ち入ってしまう。
足元へと縋りついていた女はもういない。どうやら別の相手を見つけたようで、既に児嶋の存在など眼中にはないらしく、その口端から唾液を零しながらただ無感情に揺さぶられていた。

「許そう。お前は立派な大量受苦悩処の住人だ。逃れられぬ欲に溺れ、その身が貫かれるまで、あの方のために交わり続けるがいい」

刀を下げた男は薄く笑みを浮かべながら、歩み寄ってきた児嶋を虚ろな情交へと誘う。

「あ、あ……」

途端に、不気味だったはずの床上で蠢く性に取り憑かれた芋虫たちが、酷く羨ましく思えてしまった。
抱き続けた性衝動は、とうとう窃視を越え、自らが盗み見られたいという欲求へとすり替わる。
鼓動が高鳴り、思考が沸騰した。

「……ッ、したい、です……」

ようやく振り絞った掠れた声で呟くと、男は満足げに頷き、にやりと口元を歪めた。

「よろしい。ではこれより、儀式を始めよう」

そんな言葉を合図に、背後から歩み寄ってきたらしい屈強な腕に抱きすくめられたかと思うと、纏った衣服をあっという間に剥ぎ取られ、児嶋も床上の芋虫たちと同様の姿へとなり果てる。

「あ……」

同性に素肌を弄られる嫌悪感は、微塵もない。
それどころか男が児嶋の項に吸い付くたび、そして下腹を指で擽るたび、全身が悦びに震えると同時、酷く淫らな気分に陥るのだ。

「っ、ン!」

皮膚を這う舌先の感触に堪え切れず、児嶋は膝から崩れ落ち、魔方陣の上へと俯せに倒れ込む。
続けざま、背後から腰を抱え上げられたかと思うと、

「あァ、っ」

前触れもなく粘膜を裂き、直腸の中へと穿たれたそれが何なのか。
熟考する間もなく突き動かされ、児嶋は喉を逸らして悦びに喘ぎ、悶えてしまう。
その時だった。
ふと視線を横に流してみると、そこには無数の〝目〟が待ち受けていた。
交わり合いながら、児嶋の醜態に向けられたまなざしの数々。
まるで生気が感じられないというのに、何故だか酷く劣情を煽られ、背筋が粟立って仕方がなかった。
未だ顔すら見ていない男と交わりながら、児嶋は甘く囀り、更なる視線を求めて揺さぶられるまま、はしたなく乱れ続ける。

「あ、ァ……っ、は……」

床に描かれた魔方陣に頬を擦り付け、窃視の快楽を浴びながら腰を高く掲げる己の姿を眺めてみたい――そう願った刹那、

「ン、あ……」

視線の先に、自分と同じ顔を見つけたような気がした。
――これが、ずっと見たかった。
これこそが求め続けていた欲求であり、衝動であると大きく震え、絶頂へと昇り詰める。
瞬間、一番近くにあった男の眼差しが大きく見開かれ、まるで児嶋の吐精に呼応するかの如く激しく瞬いた。
もっと、もっと見て欲しい。
未だ背後から容赦のない律動にて突き動かされながら、児嶋はこちらの行為を覗き見続けている男に嬌声を以って自らの欲望を訴え続けていたのだが、

「――!」

振り下げられた刀によって、その眼差しは血しぶきへと変わってしまう。
ごとりと不気味な音を立てて転がる首、見開かれたまま生命を失った双眸とかち合い、児嶋の嬌声が途端に引き攣った。
切先から滴る鮮血。そして頭上から唱えられた呪文のような言葉。
どうしようもなく高ぶっていた淫らな性衝動は途端に不吉な恐怖へと塗り潰され、思考が凍り付く。

「嫌、だ……ッ」

思わず零れた拒絶は、どこかから響く地鳴りによってかき消される。

「いあ、いあ、しゅぶにぐらす!」

児嶋を悦楽の牢へと誘った刀持ちの男が叫んだ。
瞬間、床上の魔方陣から現れた黒い泡の塊。
それは触手を形成しながらたちまち大きく膨らみ、狭い地下坑内を破壊し、広がっていく。

「あ……ッ、ああ……」

児嶋の醜態を眺めていた視線の数々が、崩れ落ちる瓦礫たちによってひとつふたつと消失した。

「見ろ、よく見ろ」

夢の中で聞こえたのと同じ声が、今度は現で児嶋に呼びかける。

「あれこそが――」

しかし、言葉の続きが紡がれる事はなかった。
男は自らが召喚した触手にその身体ごと吹き飛ばされ、児嶋の視界から姿を消してしまったのだ。

「あ――!」

性衝動が、今度は死への恐怖へとすり替わる。
否、それは劣情が心の奥底から引きずり出した本能だったのかもしれない。
見知らぬ男に未だ繋がれたまま、児嶋は崩れゆく魔性の洞穴を、慄きながらただ眺め続けていた。



モニターから発せられる規則正しい心音と薬品の匂いに導かれ、児嶋はゆっくりと目を開ける。
そこから見えたのは白い天井と、看護用白衣を纏った若い男の顔だった。

「児嶋さん、ここがどこだか分かりますか?」

安堵と不安が綯い交ぜとなった声音で尋ねられ、児嶋はこくりと小さく頷いてみせる。
だが、それ以上の動作は出来なかった。
どうやら全身をギプスで固められているらしく、手足をろくに動かす事が出来ない。
――なぜ、このような姿になってしまったのか。どういった経緯で病院へと運び込まれたのか。ぼんやりと考えてはみたものの、記憶は不自然に途切れている。

「のちほど警察の方もいらっしゃいます。何があったのか、話しにくいでしょうが……」

自分は警察沙汰に巻き込まれたというのだろうか。
だが、心当たりがない。どうして。
それを尋ねようと児嶋は口を開こうとしたのだが、

「あ……」

疑問を押しのけてせり上がってきたのは、衝動。
失われた記憶の中で、その強烈な情念を沈めたような覚えがあった。
身悶える程の欲望に苛まれる苦しみと、それを紛らわせた瞬間の悦楽が身体に刻み込まれている。
思い出してしまった以上、望まずにはいられなかった。
例え四肢が動かせずとも、この衝動を沈めてほしくて仕方がない。

「抱いて、ください……」

呼吸を痛みではなく、性衝動による興奮で弾ませながら児嶋は懇願した。

「あなたと、セックスがしたいです……!」