天下無双の究極遊戯

Vtuber戦国時代を斬り進む尾張の女武将

七、患者

待ち合わせ場所に現れた女は、隣に立つひろみに負けず劣らずの明るい笑顔を浮かべていた。

「本日は突然お呼び立てしてすみません」

言いながら児嶋が名刺を渡すと、女は相変わらずにこにこと満面の笑みを浮かべながら、気にすることはないと実にさっぱりとした口調で言いきり、むしろ夕食に招待してもらえて光栄だと無邪気にはしゃいでみせた。

「ご丁寧にどうも、原田ヒカルです」

こちらには、随分と好意的な様子である。
これならばカウンセリングに纏わる話を聞き出す作業もさほど苦労はしないだろうと児嶋は密かに胸を撫で下ろすと、出入り口にて待ち受けていたウエイターに案内された席へと座り、机上のメニューを開く。

「雛芥子さん」
「なんだよ」
「貴方の分の注文は僕がしておきますから」

雛芥子が空腹である事は重々承知していたが、ここで思いのままに食事をさせてしまっては石沢のようになりかねなかった上、昨日開腹手術を受けたばかりの身の上である。
ここは限りなく流動食に近いスープ類などを食べさせるべきだろうと、児嶋は相手の了承を得るよりも先に問答無用でミネストローネを注文した。

「具はなるべく避けてくださいね。炭水化物を口にして過食に火がついたら危険ですから」
「……哲ってたまに人間とは思えねェよな」

雛芥子は抱えた不満を前面に押し出した、実に不服げな表情で児嶋を非難するが、この場で騒ぎ立てては情報収集に支障をきたすと判断したのだろう、一方的な注文には異を唱える事もなく、しかしささやかな抵抗としてグラスの中の水をずずっと行儀悪く音をたてながら飲み干してみせたのだった。

「それで、韮崎先生のお話を聞きたいんだったかしら?」

正面に座るヒカルが、運ばれてきた前菜のサラダをフォークで突きつつ、にこりと小首を傾げながら尋ねてくる。

「はい、実は隣の彼も現在深刻な摂食障害でして……。是非そのカウンセラーの方をご紹介頂きたいのですが」

摂食障害患者に仕立て上げられた雛芥子は再び不満げな顔でじとりと児嶋を睨んでいたが、事実、過食の症状が出ているのだから完全な嘘ではない。
故に反論も出来ないまま、雛芥子はこちらの出まかせに話を合わせるしかなく、

「……そうなんですよ」

と、唸るような声で小さく同調してみせた。

「あら、それだったら絶対韮崎先生のカウンセリングを受けるべきよ! 私ね、こう見えて昔は太ってたんだけど……」

曰く、何をしても痩せられないと悩んでいたところ、人づてに韮崎を紹介してもらい、実際にそのカウンセリングを受けたのだという。

「そしたら、もう凄いの! まったく食欲がなくなって、しばらくは水だけでも十分なんだよね」

俄かには信じがたい話であった。
まったく食欲がわかずに水だけで暮らすなど、悪阻に悩まされる妊婦やなにか重篤な状態にある病人以外、ありえない現象だろうと児嶋は思わず眉を顰める。
そもそも特別な薬の処方もなく、ただカウンセリングを受けただけで食欲がなくなるなど医学的に考えてあまりにも非常識な話だった。
強烈な心的外傷体験によってそういった症状が発現する可能性は勿論残されていたが、食欲を一切失うほどの苦痛を与えられている様子は少なくとも今のヒカルからは窺えない。

「でも、カウンセリングから三週間くらいするとだんだん効果が切れてきちゃうから、また受けに行くんですけどね」

どうやら、件の治療に永続的な効果はないらしい。
だが、度重なるカウンセリングを受けた人間はその先どうなってしまうのか、そして治療を途中で投げ出した患者たちはどんな末路を辿るのか――確かめておいたほうが良さそうである。

「……カウンセリングの効果が切れると、どういった症状が出るのでしょうか。途中で治療をやめた人はどうなります?」
「しばらくすると、また食欲が出てきちゃうんだよね。治療をやめたらどうなるのかはちょっと私には分からないけど……。値段も手ごろだし、やめる必要あるのかなって感じかな」

彼女は韮崎というカウンセラーの施す治療の効果を妄信しているらしく、得体の知れない宗教に溺れる信者のような何とも言い難い危うさが漂っていた。
そして何より児嶋が気になっていたのは、彼女の〝肌艶の悪さ〟である。
厚く塗られたファンデーションによって幾分か隠されてはいたものの、所々で粉を吹き、くすんでいる彼女の皮膚状態は明らかに偏った食生活からなる肌荒れを起こしていた。
要するに、彼女の過食症は洗脳的な何かでただ単に抑え込まれているだけで、未だに改善はされていないのではないだろうか。
そもそも三週間に一度、カウンセリングへ出向かなければいけないという時点で根本的な解決には至っていないと児嶋は密かに溜息を零したが、しかし――それを安易に指摘して、ヒカルの機嫌を損ねでもしたら情報を聞き出せないどころか、我を忘れて暴飲暴食に走りかねない。
医者としての見解を今ここで述べるべきではないだろうと唇を結ぶと、居心地の悪さを誤魔化すように児嶋は目の前のペペロンチーノを口に運んだのであった。



異変が起こったのはすべての食事を終えた後、ひろみの「デザートが食べたい」という発言の後だった。

「じゃあ私もデザート!」

ひろみの言葉に釣られるようにしてヒカルは再度、手元のメニューを目の前で開くと、通りかかった店員を呼び止めるや否や、

「ここのページのケーキ、全部二つずつお願いします!」

などと言い始めたので児嶋は勿論のこと、隣席のひろみや、食後のコーヒーを啜っていた雛芥子も揃って双眸を丸め、驚きを露わにした。

「あの、ひかるさん……。大丈夫でしょうか。いくらカウンセリングが万能とはいえ、その量はあまりにも……」

もしやこれは、石沢と同じように食欲への歯止めが利かなくなってしまうという危険な兆候なのではと児嶋は思わず窘めたのだが、当のヒカルはというと聞く耳を持たず、むしろ何故そのような忠告を受けなければならないのかといった様子できょとんと瞳を丸めている。

「どうして? だってカウンセリングがあればすぐに痩せられるじゃない」

瞬間、彼女の瞳孔が開いたと同時、その口端から食べ物を欲するあまりか濁った唾液がつぅっと一筋伝い落ちた。

「もっと……。もっと食べたいの。いくら食べても平気よ。先生のカウンセリングさえあれば、醜い脂肪なんてキレイに浄化してもらえるんだもの……」

続けざま、にやりと弧を描いた彼女の唇が発した言葉。

「ウガァ・クトゥン・ユフ!」

それは、例の謎めいた呪文であった。
その後、ヒカルは運ばれてきた幾つものケーキをあっという間に平らげてしまったのだが、幸いなことに石沢の身に降りかかった現象は起こらず、先ほど見せた狂気的な一面もすっかりと鳴りを潜めて明るい表情を取り戻していた。
だが、このまま彼女の過食を放っておけば、その食欲は最終的に己の肉体へといつかは向けられるに違いない。

「……ひろみさん」

レストランの前でヒカルと別れた後、児嶋は未だ青ざめた表情のままでいたひろみを呼び止め、医者として――否、真っ当な人間として、自らの見解を濁さず伝えた。

「ヒカルさんの様子は明らかに以上です。結局のところ、摂食障害は治っていないように見受けられます」
「です……よね……」
「今後の動向に気を付けた方が良さそうです。本当はキチンとした医療機関に通ってほしいのですが、あの様子では……」

恐らく、易々と首を縦には振らないだろう。
自らの食欲をたちまち消し去ってくれたカウンセラーを妄信している以上、それに反する助言などは決して耳を貸さないに違いなかった。
歯に衣着せぬ児嶋の見解に、ひろみはますますとその表情を曇らせてしまったが、しばらく沈黙を置いた後、意を決したように唇を硬く結び、こちらを、そして雛芥子の顔を真っすぐと見据えながら再びその口を開いてみせた。

「ヒカルちゃんのことは、私に任せてください。絶対に、病院へ連れていきます!」

力強くそう言い放ったひろみの胸の内には、恐らく同じように食欲をコントロール出来なくなった末、姿を消してしまった兄の事が浮かんでいたのだろう。
丸く大きな瞳には涙が薄っすらと僅かに滲んでいたが、もう二度と親しい人間を失いたくないという強い思いが、寸でのところでそれが流れ落ちぬよう堰き止めていた。

「ひろみちゃんは強い子だな。その思い切りの良さは兄貴譲りってところか」

ひろみの心意気に胸を打たれたらしい雛芥子が肩を揺らしながら軽口を叩いてみせたが、食欲に取り憑かれているのはヒカルだけではない。彼自身もまた、己を飲み込まんとする衝動と今の尚、戦い続けているのだ。
それを察したひろみは不安げに眉尻を少し下げてみせたが、

「雛芥子さんも、負けないでください。私の方でもお兄ちゃんのアパートをまた調べてみようと思います」

実に頼もしい言葉を残して、児嶋たちと別れたのであった。

「……さて、どうするよ」

家路を辿りつつ、雛芥子はまるで他人事のような口調で尋ねながら懐から出した煙草を咥え、食後の一服を呑気に楽しんでいる。
その先端から燻る紫煙を眺めつつ、児嶋は今後自分たちが取るべき行動を思案した。

「兎にも角にも、接触してみるしかないでしょうね。ヒカルさんに不可解なカウンセリングを施した韮崎という女性に」

言いながら児嶋は内ポケットから電話番号の書かれた紙ナプキンを取り出してみせる。
それは先ほどヒカルから聞き出した、件のカウンセラーに繋がる最後の砦であった。

「いきなりカチコミかあ。あんまり気は進まねえな」
「意外と慎重派だったんですね、雛芥子さんって」
「……お前が無謀過ぎるんだよ、この朴念仁め」

だが、しかし。雛芥子も大胆な行動に移らざるを得ない児嶋の焦りや現況を十分に理解していたのだろう。

「ま、いざとなったら適当な罪状でその韮崎って女を引っ張ってやるか。葉っぱでも出てくりゃ現行犯逮捕できるしな」
「……そうですね」

そうは言いつつも、あの悍ましい現象が、薬物が見せた幻であったとは、児嶋も、そして雛芥子自身も思ってはいなかった。
果たして石沢とヒカルは何に取り憑かれ、何に惑わされていたのか。
未だ得体の知れない謎は、ゆっくりと、しかし着実に児嶋たちの足元へと忍び寄っていた。

第6話第8話