天下無双の究極遊戯

Vtuber戦国時代を斬り進む尾張の女武将

六、協力者

腹が減ったので軽食でも口に入れさせろとごねる雛芥子をどうにか宥めつつ店内を見回すと、件の女をボックス席の片隅に見つける事が出来た。

「石沢さん、ですか。先ほど、連絡をしたものですが……」

言いながら名刺を差し出すと、兄とよく似た明るく溌溂とした表情がこちらに向けられる。

「あ! あの、わたし、石沢ひろみです」

歳の離れた兄妹だったのだろうか、その弾んだ声音や服装の雰囲気、受け取った名刺に記載された児嶋の「精神科医」という肩書にはしゃいでみせた仕草から察するに、ひろみは随分と若いようだ。

「お話って、なんでしょうか」

さて、どう切り出すべきか。そしてどちらが切り出すべきか。
隣に座る雛芥子の表情を横目で窺ってみると、彼は我関せずといった表情で呑気にコーヒーを啜っている。
先ほど、あれだけこちらの言動が無神経だと罵っておきながら、事件に纏わる面倒臭い説明はすべて児嶋に押し付けようという魂胆らしい。
他人事のような顔をしているが、いま自らが置かれている状況を踏まえた上でこのような態度が取れるとは、やはり刑事という職種の人間は肝が据わっているなと半ば感心しつつ、児嶋もアイスコーヒーで唇を軽く湿らせた後、意を決して重い口をゆっくりと開いた。

「昨日、石沢さんと我々三人で食事をしていたのですが……。その最中、財布だけを残して行方をくらませてしまったのです。何か心当たりはありませんか?」

非現実的な事象に巻き込まれた事を省き、とりあえずは石沢が忽然とその姿を消してしまった事だけをシンプルに打ち明けながら、児嶋はその懐から唯一の残留物である財布をテーブルへとそっと乗せた。

「お財布だけ残して……?」

瞬間、ひろみの大きな瞳が驚きに丸められたが、その後に繰り出された反応はこちらが予想していたものと大きく異なっていた。

「もう、バカアニキ! またどっか行っちゃったのね」
「……また?」
「あの人、仕事バカだから。調べ物してて連絡がつかないなんてこと、しょちゅうあるんです」

それにしたって、食事中に姿を消したりしたことは一度も経験がないと付け足しながら、兄の行動を笑い飛ばしつつ、ひろみは予め注文しておいたらしいフロートアイスをスプーンで掬う。

「なにか大きなネタでも手に入れて慌ててたのかな。それにしても、人と食事してる最中に財布を忘れて店を飛び出しちゃうなんて……」
「それと、行方をくらませる直前にかなりの量の料理を夢中になって食べ始めるという異変があったんです。精神科医である僕の目にはそれが摂食障害に見えたのですが……。そういった事は今までにもありましたか?」

行方不明を口実に情報を引き出せればと思っていたのだが、まさか石沢が失踪常習者だったとは当てが外れたと内心、舌を打ちつつ、それでは別の角度からなにか情報は得られないかと、児嶋は彼がその姿を消す直前に見せた異常な食欲について問いかけてみた。

「えっ、摂食障害? 今日だって一緒にイタリアンレストラン行く約束してたし、それはないと思うけど……」

ひろみは戸惑いを浮かべながら、フロートアイス用のスプーンへと齧りついたまましばし黙り込み、ふと何かに気づいたのかハッと顔を上げて「そういえば」と軽く身を乗り出してみせる。

摂食障害についての取材はしてたみたいですよ。その関係で、このあいだ私の友達も紹介したんです」

児嶋がアパートから持ち帰った数々の取材資料の内容を裏付けるような証言が、ようやくひろみの口から繰り出された。
無言のまま隣に視線を投げかけてみると、雛芥子も呑気な表情を途端に引っ込めて神妙な面持ちで彼女の話を聞き入っている。

「失礼ですが、そのお友達と言うのは?」
「あ、えっと……。私の大学の先輩で今はお仕事してる、原田さんって人です。ずっと過食症に悩んでいたみたいなんですけど、カウンセリングを受けたらすぐに治っちゃったみたいで」

摂食障害に即効性のあるカウンセリング――もしや、あのブログに掲載されていた韮崎という女のサロンを訪れたのだろうか。
恐らく、いや確実に。石沢は、実際に摂食障害の治療を受けたという人間に直接接触することで、なんらかの情報を得たに違いない。
その核心に触れたが故に、あんな姿へとなり果てた――などとは思いたくもなかったが、このまま放っておけば雛芥子も彼の二の舞だ。

「宜しければ、その方を僕たちにもご紹介して頂けないでしょうか。是非お話を伺ってみたいのですが」
「えっ、ええっ?」
「そういえば今夜、石沢さんとイタリアンレストランへ行くと仰っていましたね。どうでしょう、お兄さんの代わりにと言ってはなんですが我々が同行し、そこへ原田さんも呼んでいただくというのは」

手掛かりを逃すわけにはいかないと児嶋はすかさず原田という人物との面会を申し出たのだが、その途端、隣から心底呆れているといった様子の盛大な溜息が零された。

「……この無神経男が」

どうやらまた、手順を間違えてしまったようである。

「ごめんね、ひろみさん。コイツ、石沢さんが急にいなくなっちゃったから動揺しててさ。少しでも手掛かりが欲しくて焦ってんだ」

すかさず隣から発せられた児嶋の失態をフォローする雛芥子の言葉に、ひろみの表情がふわりと和らぐ。
初対面の人間から情報を聞き出す作業がこれほどまでに大変で、相手の警戒心を解くのが困難であったとは。
今更ながらにそれを思い知ると同時、やはりこういった聞き取り作業は取り調べ慣れした雛芥子の役目ではなかったのかと不満を抱かずにはいられない。

「ご心配いただいてありがとうございます。でも、お兄ちゃんと連絡が取れなくなることって別に珍しい事じゃないから大丈夫ですよ」

そして何よりまずいのは、ひろみが兄の失踪を重く受け止めていないという点であった。
先ほど、強引な詰問を雛芥子に諫められたばかりではあるが、ここで重要な手掛かりに繋がる彼女をみすみすと帰してしまうわけにはいかない。
例え不作法だと罵られても、このまましつこく食い下がるしかないだろう。
児嶋は再びアイスコーヒーでその唇を湿らせた後、ひと呼吸置き、こうなったらありのままを打ち明けてしまおうと重い口をどうにか開いた。

「……すみません、先程僕は嘘をつきました」
「え?」
「行方不明というのは事実なんです。ただ、その消え方というのが……」

隣から雛芥子が非難めいた視線を寄こしてみせたが、このままでは埒が明かない。
児嶋は、中華料理店で起こった不可解な出来事を洗いざらい打ち明けた。

「そして今、同席してもらっている雛芥子さんにも同様の摂食障害の兆候や不可解な現象が起こり始めているのです。このままでは、同じことを繰り返してしまうような気がして……」

瞬間、脳裏を過った不気味な肉塊と骨が噛み砕かれるような咀嚼音。
もしこのまま真相に辿り着けず、雛芥子までその肉体を失ってしまったら――その後、自分はどうなってしまうのだろう。
変わり果てた友人たちの姿を忘れられないままこの先の人生を後味悪いまま歩み続けるのか、それとも児嶋自身も強烈な飢餓に苛まれ、同じ末路を辿るのか。
ぶり返してきた未知なる恐怖に指先を震わせたその時、目の前から小さな悲鳴があげられた。

「あの、大丈夫ですか……?」

何事かと顔を上げると、ひろみが驚愕と慄きにその表情を浮かべて、なにやら目を見張っている。
他人に恐怖心を与えてしまうほど、自分はひどい顔をしていたのだろうかと眉を顰めたが、彼女の視線が目の前の児嶋ではなく、どうやらその隣にいる雛芥子へと向けられていることに気づいた。

「……!」

ひろみの視線に釣られるようにして隣に座る男の表情を窺い、児嶋は驚嘆する。
彼の口端から、幾筋もの鮮血が顎を伝って流れ落ちていたのだ。
しかし、雛芥子は虚ろな表情を浮かべたまま自身の唇を強く噛み、あろうことか、そこから溢れ出る自らの血を音をたてて啜っている。

「雛芥子さん、何をしてるんですか!」

紙ナプキンを彼の唇に押し当てながら児嶋が強く諫めると、ようやく雛芥子は我を取り戻したようでその双眸に生気を取り戻すと、今更ながら噛み締めた唇から痛みを感じたのか、忌々し気に眉を寄せつつ滴る鮮血を自らの手の甲で乱暴な仕草で拭い始めた。

「くそっ、またやっちまったか」

恐らくこれは昨日、書類をその口に詰め込んだ時と同様の症状だろう。
食事を取り上げさえすればこのような症状は抑えられると考えていたのだが、まさか自身の肉体を傷つけてそこから溢れた血を啜り始めるとは――事態は思ったよりも深刻だった。

「ひろみさん、ご覧の通りです。あなたのお兄さんも、こんな風に我を失くして食事を摂り続けて……いなくなってしまいました」

雛芥子の唇に紙ナプキンを当てたまま、児嶋は唖然とした表情を浮かべて言葉を失っているひろみに、切羽詰まった口調で捲し立てる。

「勝手ながら、大家さんに協力して頂いてお兄さんの自宅を調べさせて頂きました。そこで僕たちが見つけた手掛かりが、摂食障害というキーワードと、それをたった数時間で治してしまうというカウンセラーの存在なんです」
「あ……」
「恐らくその原田さんが受けていたカウンセリングというのが、僕たちが石沢さんの家から見つけた手掛かりであるカウンセラーと同じだと考えています。だから少々強引なやり方になってしまいましたが、その方をご紹介いただけないかとお願いしていたのです。このままじゃ雛芥子さんは、お兄さんと同じように肉体を失ってしまうかもしれません」

奇想天外な出来事を果たしてひろみが信じてくれるのかどうか甚だ疑問ではあったのだが、目の前で雛芥子が我を失い血を啜る様子を目撃したことにより、どうやら図らずもその異常性を察したらしい。
しばらくひろみは黙り込んでいたが、意を決したように立ち上がった。

「分かりました。私の友達を紹介する事で、お兄ちゃんが消えちゃった理由が分かるのなら……。それに、雛芥子さんを助ける事が出来るなら、喜んで協力します」

私に任せてください、と力強く微笑む彼女は、好奇心と探求心旺盛な兄の姿と何処か似ていて、児嶋は協力を申し出てくれたその心意気を頼もしく思う反面、どこか切なくも感じたのであった。

第5話第7話