天下無双の究極遊戯

Vtuber戦国時代を斬り進む尾張の女武将

五、摂食障害

翌日の朝、雛芥子の入院先である病院に顔を出したところ、執刀を担当した外科医が児嶋の姿を視界に入れるや否やこちらへと駆け寄り、酷く深刻そうな声音でそっと手術の結果を耳打ちした。

「触ったら確かにあるのがわかるんですが……。開けても、ないんです」
「……え?」

曰く、試験開腹の結果、レントゲンにしっかりと映りこんでいた例の不気味な歯列が発見できなかったらしい。
X線やその他エコー、そして触診などを用いて調べた際には確かに手ごたえがあるのに目視が出来ず、取り出す事は叶わなかったという。
その上、更なる問題が一つ。

「夜中にICUを抜け出して売店に向かったそうなんです。なんでも、とてつもない空腹だったそうで」

腹腔鏡による試験開腹とはいえ、腹を開けた人間が空腹を訴えるなど聞いたことがなかった。
術後の苦痛をも上回る、呪いのような飢餓感。
やはり、石沢に取り憑いていたあの化け物が雛芥子にも襲い掛かったとしか思えない。

「このまま検査入院をした方がいいと思いますが、どうします」

尋ねられ、児嶋はどうしたものかと溜息を零しながら肩を竦め、考え込んだ。
医学的に解決できる可能性があるならば、雛芥子の事は医者に任せておいた方がいいだろう。
しかし、医術では腹の中に潜む怪物を取り出せないと証明されてしまった今、他の解決方法をあたらなければ恐らく彼は助からない。
いつしか異常な食欲に飲み込まれ、石沢のようにやがてその身を噛み砕かれてしまう事だろう。

「……いえ、とりあえずは僕の方で彼の様子を見ておきます」

まず調べるべきだったのは雛芥子の腹中ではなく、昨夜石沢宅から引き上げてきた資料だったのかもしれないと自らの判断を悔やみつつ、児嶋は外科医に頭を下げた後、ICUへと急いだのであった。



翌日退院が許可される程の手術だったとはいえ、腹に穴を空けられてすぐに日常生活が送れるほど人間の身体は丈夫に作られてはいない。
ようやく辿り着いた児嶋宅のソファへぐったりとその身を沈めながら、雛芥子は己の腹を抱えつつ忌々し気に舌を打った。

「ってえな、畜生……」

痛みへの耐性に、肉体の大小は関係がないようだ。
雛芥子は表情を歪めたまましきりに抱えた腹を掌で摩り、どうにか自身を苛む痛みを和らげようと努めている。
そんな彼に粉末を溶かしただけのスープを手渡しながら、児嶋は昨晩の首尾を手短に報告した。

「昨晩、石沢さんの部屋からノートパソコンと資料をいくつか持ち帰ってきました。それと、女の子に纏わる情報も……」

ソファ前に置かれたローテーブル上に積み上げられているのは、昨晩、石沢宅から持ち帰った資料の数々であった。

「……警察いらずだなァ?」

腹を庇うようにその身を丸めた雛芥子が、脂汗をその額に滲ませながら揶揄するような一瞥と言葉を児嶋の元へ乱雑に放る。

「で、どうする。調べてみるか?」
「ええ、そうしましょう。術後まもない貴方に調べ物をお願いするのは気が引けますが、時間がありません」

多少、不服そうな表情を浮かべてはいたものの、こちらの提案に反論はないらしい雛芥子はカップスープを音をたてて行儀悪く啜りながら分厚いファイルを手に取ると、慣れた様子で中身を次々と攫い始めた。
児嶋もそれに倣い、ノートパソコンの電源を入れるとまずはローカルフォルダ、次はインターネットブラウザの閲覧履歴等と一つずつ石沢の行動を辿るように目を通し、なにか今回の騒動に纏わる情報が潜んではいないかと念を入れて精査していく。
――数時間かけて浮かび上がってきたもの。
それは「摂食障害」というキーワードであった。

「過食とか拒食とか、食いモンに纏わる疾患の資料が多いな。これはお前の分野だろ?」

言いながら雛芥子が寄こしてみせたのは、一体こんなものをどこから手に入れたのか、重度の摂食障害患者に纏わるカルテと論文だった。
他にも過食嘔吐に悩む女性への取材レポートや今までに施された治療の内容などが事細かに記されている。
対する児嶋がノートパソコン内から見つけ出した情報は、とあるブログの数々である。
しかし、その内容は雛芥子がファイルの山から見つけ出した資料とは毛色が明らかに異なっており、まるで実体のない何かを崇め奉るかのような奇妙さに満ちていた。

「こちらは、とあるカウンセラーに纏わる称賛記事が目立っていましたね。なんでも、摂食障害を即日で治してしまうとか……」
「なんだそりゃ、胡散くせえな」

そう吐き捨てながら雛芥子も児嶋の肩越しにディスプレイを覗き込むと、そこに綴られた御伽噺のような体験談の数々に目を通し、うんざりとした表情を浮かべ、やれやれを肩を小さく竦めてみせる。

「こりゃ完全に騙されてンな」
「ええ、摂食障害をたった数時間で治療するなど、無茶な話です。このカウンセラーは一体、患者たちへ何をしているのか……」

ブログの記事、そこへ寄せられたコメントの数々から読み取れた情報は、以下の通りである。
韮崎という女のカウンセラーにかかれば、摂食障害がたったの数日間で改善されてしまうということ。
そしてこれが自作自演によって作られたものでなければ、かなりの人数が彼女の治療を受け、崇拝をしているということ。
そしてその効果を彼らは「ウガア・クトゥン・ユフ」という謎の言葉で盲目的に称賛をしているということ――。

「これ、石沢さんが口にしていた言葉と一致しているのではないでしょうか」

あの歯列が姿を消す直前、雛芥子が耳にしたという謎の呪文めいた囁き。
それがこの狂信者たちが常用するものと一致するのであれば、幾分か確信に近づけたのではないだろうか。

「ああ、これだ。ウガア・クトゥン・ユフ……。あのとき石沢さん、確かにそう言った」

だが、しかし。そこまで判明してもなお、分からない事が幾つかあった。
まずこの韮崎というカウンセラーがどこで施術を行っているのか、どれだけ調べても情報が出てこないのだ。
後ろめたいことをしているという自覚はあるのか、どうやら彼女のカウンセリングは大ぴらな場所で行われているものではないらしい。

「どうにかしてこの韮崎という方に接触したいのですが……」
「名字だけじゃ警察のネットワーク使ったとしても調べられねえぞ。せめて顔写真かフルネームさえ分かればやりようもあるが――」

と、その時である。
行き詰まった重い空間を切り裂くようにして、児嶋のスマートフォンがヒステリックに着信の旨を告げた。

「……はい、児嶋です」

こちらの端末には登録されていない番号からの着信であったが、いったい誰からの連絡だと耳を澄ませてみると、

「センセ、きたのよ! あの子!」

スピーカーから聞こえてきたのは、昨晩ともに石沢の自室へと踏み入った大家のやけに弾んだ声音であった。

「いま、例の子が石沢さんの部屋を訪ねてきたみたいなの。どうする、電話代わる?」

あの子とはもしや、週に一度、石沢宅へ訪れていたという女性の事だろうか。
児嶋は通話を雛芥子にも聞こえるようスピーカーモードへと切り替えつつ、可能であるならば彼女と通話を交代してくれるよう大家へと頼みこむ。
するとしばし間を置いた後、そこから酷く訝しげな若い女の声が漏れ聞こえてきた。

「……もしもし?」
「突然すみません、石沢さんの知人の児嶋と申します。実は、石沢さんの件でお話があるのですが……。直接お会いすることは出来ませんか」

単刀直入にそう切り出した瞬間、背後から伸びてきた雛芥子の掌が、児嶋の無礼を諫めるように後頭部へと叩き込まれる。

「お前さ、女の子に対してデリカシーなさすぎ。もうちょっとスマートに誘い出せないワケ?」

そうは言ったものの、デリカシーなど気にしていられるような状況ではない。
雛芥子の方こそ、自身の腹にとんでもない化け物を飼っているという危機的状況にも関わらず時間が惜しくないのかと内心で毒づきながら、呆れかえった様子の男へと恨めしげな視線を送ってしまう。

「……お兄ちゃんの知り合い?」

と、二人がつまらない事で諍いを起こしかけていたその時、スピーカーから再び訝しげな声音が呼びかけてきた。

「お兄ちゃん、携帯に電話しても出なくて……。話ってなんですか。お兄ちゃんどこに行ったか知ってますか?」

どうやら週に一度、石沢宅を訪れていた女性の正体は石沢の妹であったらしい。
肉親であるならば、話が早い。
一刻も早く面会の約束を取り付けなければと児嶋は口を開きかけたのだが、それを遮るようにして雛芥子はこちらの手からスマートフォンを奪い取ると、今度は自らが主導権を握り石沢の妹と名乗った女へとこう告げた。

「ちょっと、お伝えしたい事があるんです。それに、聞きたい事も……。そうだな、駅前のカフェ、分かります? そこで今から待ち合わせるってのはどうでしょう」

通話相手が代わった事により、不信感が増したのか、随分と長い沈黙がそれから続いたが、

「……分かりました、今から向かいます」

彼女から告げられた返答は、了承であった。

「ったく、精神科医のくせに無神経な男だな。豪速ストレートばっかり投げやがって」

通話を終えた後、本日何杯目か分からないコーヒーを啜りながら、心底呆れたように、しかしどこか愉快そうに雛芥子はこちらの体たらくを揶揄し、不服そうな表情を浮かべる児嶋の姿をソファの上から見下ろした。

「あんな言い方して、もし電話切られちまったらどうするんだよ」
「……」
「もしかして先生、女性経験少ない? 今度、ウチんとこの交通課の婦警集めてコンパでもしてやろうか」
「……結構です」

なにはともあれ、事態は無事に進展したようである。
児嶋はノートパソコンの電源を落とすと、未だにやついている雛芥子と連れ立ち駅前のカフェへと向かったのであった。

第4話第6話