天下無双の究極遊戯

Vtuber戦国時代を斬り進む尾張の女武将

四、手掛かり

昼間は刑事である雛芥子が同行していた為に多少の強引な捜索も許されてはいたが、今は児嶋ひとりである。
どうにか怪しまれずに石沢の部屋を物色する事は出来ないだろうかと考えた結果、ここは大家の元を尋ねてみるしかないだろうと思い至り、児嶋はインターフォンを鳴らした。

「あら、どちら様?」

家事の最中であったのだろうか、纏ったエプロンの裾で自身の手を拭いながら姿を現したのは、一人の初老女性だった。

「夜分遅くに申し訳ありません。実はお尋ねしたいことがありまして……」

警戒心を抱かれぬうちに本題を切り出してしまおうと児嶋が口を開いたその時、彼女の表情に僅かな驚愕と歓喜の色が乗る。

「あら、あなたもしかして児嶋先生?」

名前を言い当てられ、児嶋も思わずその目を丸めてしまう。
顔を合わせた覚えはないが、どうやら彼女はこちらの存在を以前から認識している様子である。先生、という呼称から察するに、児嶋の職業も承知しているらしい。

「うちの甥っ子がお世話になっていてね、私も付き添いで病院へ窺った事があるのよ」

なるほど、これは嬉しい誤算だと児嶋はほっと胸を撫で下ろした後、一方的に繰り出される雑談に適当な相槌を打ちながら、時間を掛けてどうにか本題を切り出す事に成功した。

「石沢さんの知人なのですが、彼と連絡が取れなくなってしまいまして……。財布も持たずにどこへ行ったのか少し心配で」

言いながら児嶋がその懐から取り出してみせたのは、雛芥子から預かった石沢の財布だった。
ただ単に行方不明だと訴えたとしても、根拠がなければ室内の捜索を断られてしまうかもしれないと踏み、病院から立ち去る直前、雛芥子から唯一の残留物であるそれを預かってきたのだ。

「え、本当? あらやだ、お財布……」

効果は覿面、大家は児嶋が手にしたそれを目にした瞬間、表情を一気に曇らせてしまった。

「もしかすると中で倒れている可能性もありますので、鍵を開けて頂きたいのですが……」

独り身の男が自室にて病死、もしくは自死するという状況は、珍しい話ではない。
しかしそれは、不動産業を営む者としてはなかなかにやっかいな出来事であり、発見が遅れれば遅れるほど経済的な損失や面倒な手続きなどが増える為、室内で動けなくなっている可能性を示唆すればかなりの揺さぶりをかけることが可能だろう。
あくどいやり方だとは思うが、石沢の部屋を捜索するには他に方法がない。

「確か石沢さんって、ジャーナリストだったわね。まさかとは思うけど妙な事件にでも巻き込まれたのかしら」

大家の表情はますます曇ったが、ここは畳みかけ時である。

「事件の可能性も考えて、少し部屋を調べてみたいと思っています。立ち会って頂けますか?」

突然の来訪者から不穏な事態を一方的にほのめかされ、いよいよ平静を保てなくなったらしい彼女は狼狽を露わにする。
わざと第三者の不安を煽るなど、精神科医として失格だと微かな自己嫌悪を抱きかけたものの、雛芥子がああなってしまった以上、なりふり構ってなどいられなかった。

「……そうね、そうしましょ」

逡巡の後、大家は児嶋の申し出を了承すると、手にしたマスターキーで石沢の住む部屋の施錠をゆっくりと外したのであった。



無人の室内は、ジャーナリストという職業に相応しく様々な書籍と資料で溢れかえっていたものの、石沢の性格なのだろう、それらは整然と並べられており、掃除も行き届いていた。
先ほど踏み入った雛芥子の部屋とは大違いだと、今ごろ開腹手術を受けているだろう物ぐさな刑事に対して呆れたような思いを抱くと同時、数は多いものの、きちんと整頓された石沢家の捜索はさほど手間は掛からないだろうと安堵する。
が、しかし。目ぼしい情報がどこに転がっているのかなど見当がつかず、かといって長時間ここに居座って端から端まで資料に目を通すわけにもいかない。
石沢は直近まで何を取材していたのか調べるには、まずノートパソコンを覗いてみるべきだろう。

「知人に刑事がおりますので、このノートパソコンをその方に調べて頂きたいのですが……。持ち出せますか?」

そんな児嶋の申し出に対し、さすがの大家も不信感を覚えたのか、訝し気な表情を浮かべて警戒の色を見せたものの、何か問題が起こった場合は病院に連絡してもらっても構わないと名刺を押し付けたところ、渋々といった様子ではあったが最終的には了承を示してくれた。

「石沢さんが帰ってくる可能性も十分にあるだろうから、持ち出したものは必ず元の場所へ戻しておいて下さいね」
「ええ、もちろん」

大家の示したその可能性が恐らく限りなくゼロに近い事を知りながらも児嶋は頷いた後、さて、まずはどこから調べようかと室内を一通り見まわしてみる。
重要な情報が隠されている可能性が高いノートパソコンは持ち出した後で雛芥子と共に目を通した方が良いだろう。
残るは本棚に詰め込まれた大量の資料だが、これをすべて持ち出し二人がかりで精査するのはさすがに骨が折れる。
どうにか求めている情報に近しいものだけを持ち帰りたいのだがと児嶋が更に視線を巡らせたところ、ふと目に飛び込んできたものがあった。
それは、事務机の隣に設置された、プラスチック製の小さなダストボックスである。
覗いてみると、さほど数は多くなかったが取材に使われたと思しきメモ類が何枚か投げ込まれていた為、児嶋はそれを抱え上げ、まずはその中身を一つずつ確かめていくことにした。
取材相手との待ち合わせ場所と時間を記したものと推測できる幾つかの紙片と、恐らく道中で受け取ったのであろうチラシの類、そして数枚の宅配伝票――。
どれもこれも石川を襲った怪事件に直接繋がる気配がないなと肩を落としかけたのだが、ダストボックスの底に小さく丸められたコピー用紙の塊をひとつ発見する事が出来た。
まるで中身を封じるかの如く念入りに固く丸められたそれを拾い上げて広げてみると、

「これは……」

そこには奇妙な生き物のスケッチが描かれていた。
ヒキガエルのような頭部と、コウモリのそれとよく似た耳、そしてでっぷりと太った熊のような大きな体躯は、一目で実在の生物でない事が分かる。
石沢が取り扱っていた取材ジャンルといえば、児嶋の知る限りだと犯罪や事故などが主であったはずだ。故に彼は精神科医の自分や刑事である雛芥子と懇意にしていたのだが、もしやこういった異形の怪物が登場するような都市伝説めいた仕事にも手を広げていたのだろうか。
――それにしても、何かが引っかかる。
しかし、眺めているだけで生理的な嫌悪、そして触れてはならない禁忌に手を伸ばした時のような言い知れぬ恐怖が膨れ上がる奇妙な感覚を覚えた児嶋はというと、異形の怪物が描かれたそのコピー用紙を再び丸めてダストボックスの中へそっと投げ入れてしまった。
あの怪物の姿は念のため、頭の片隅にでも留めておくとしよう。
いま優先すべきは、石沢があのような怪事件に巻き込まれるきっかけとなった手掛かりの捜索である。
本棚へと詰め込まれた膨大な資料ファイルに手を付けるより先に、まずはここ最近で使用された形跡のある机上の書籍類を調べてみるかと今度児嶋が手を伸ばしたのは、大量の付箋が貼られたグルメ雑誌だった。
取引相手との会食場所でも探していたのだろか。ページを開いてみると、付箋のほかに日付や時間が記されたメモが至る所に貼り付けられている。
昼間に訪れた中華料理屋の紹介ページにも幾つかの紙片が重ね張りされており、よくよく読んでみるとそこには本日の日付と児嶋、そして雛芥子の名前も書きこまれていた。

「……ん?」

いざとなったら、このメモに記された名前を総当たりして石沢の近況を聞きこむしかないかと密かに溜息を零した児嶋の指が、とあるページに辿り着いた瞬間、ぴたりと止まる。
そこに掲載されていたのは、先月オープンしたばかりらしいイタリアンレストランの特集だった。
昼間はOLや主婦向けのランチ営業、夜はデートプランから女子会プランまで取り揃えたディナー営業が行われているというその店は、いかにも若い女性たちが好んで訪れそうな洒落た内装と見栄えよく盛り付けられた料理の数々で彩られており、立地の良さも相俟ってか評判のレストランとして早くも各種メディアから取材が殺到していると派手な見出しを付けられていた。
問題は、レストランの記事ではなくそのページに挟まれていたメモの内容である。
そこに記されていたのは、明日の日付と、恐らく会食相手との待ち合わせ時刻であろう「1900」という数字だった。
他のメモとは違い、残念ながら相手の名前は綴られていなかったが、これは石沢の近況を探る重大な手掛かりになるのではないだろうか。
果たして彼は、誰と待ち合わせをしていたのかと考えを巡らせていたその時、ふと昼間に訪ねた隣人の言葉を思い出す。
石沢宅に時折、女性が訪れていた――と。

「そういえば、石沢さんのお宅に時折女の子が訪ねて来ていたようなのですが、なにかご存じですか?」

彼女について何か事情を知っているのではないかと背後からこちらの様子を覗きこんでいた大家に尋ねてみたところ、

「ああ、私も見たことあるわよ。今時の子って感じでねえ、週に一度は来てるんじゃないかしら」

来訪頻度から考えると、相当石沢と親しい関係のようである。

「では、その方がまたここにやって来た時には、お手数ですが先ほど渡した名刺の連絡先へお電話して頂いてもいいですか?」

万が一、彼女が石沢の婚約者ないし親族であった場合、失踪の件を報告しなければならないと付け加えると、大家はあっさりと了承を示してくれた。

「先生、お忙しいものね」

残るは、大量の情報が詰まった本棚の探索である。
どれを持ち出すか、ある程度の予測をつけて挑まなければならない。
まずは目に付いた適当な資料を手に取って中身を眺めてみたところ、都合の良い事にそれらは取材日ごとにファイリングされており、右端には今年の取材分、そして左端には三年前の日付が記された資料が並べられていると気が付いた。
石沢が几帳面な性格だったのか、はたまたジャーナリストにとってはこのような整理方法が当たり前の事であるのかはさておき、事件に纏わる関係者や企業等が絞り切れない今、日付ごとに纏められたファイルの数々は非常に有難い。
まずは過去一ヶ月分の資料を持ち帰ってひと通り目を通す事にした児嶋は決して少なくはない資料ファイルの山、そしてノートパソコンを腕に抱えると、大家に礼を述べて石沢宅を後にした。

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