天下無双の究極遊戯

Vtuber戦国時代を斬り進む尾張の女武将

ニ、最初の探索

繁華街を僅かに反れた先、銀行や大手商社のビルが立ち並ぶ通りの角で見つけたコーヒーチェーンにて、児嶋と雛芥子は向かい合っていた。
先程味わった恐怖の為か、喉がひりつくほどに乾いている。
だが、飲み物を口に含もうとするたび、むき出しの歯列と化した石沢の肉塊が脳裏に浮かびあがって、何かを飲み込むことをどうしても躊躇してしまう。
自分の身に、あのような惨事が起こらないとも限らない。
結局、注文したアイスコーヒーは未だひと口も飲まれる事がないまま、ただカップに結露の汗をかき、テーブルを少しずつ濡らしていくだけだった。

「……実は、雛芥子さんが料理を注文している間に、石沢さんから相談があると言われていたのです。それと先ほどの事がなにか関係あったのでしょうか」

抱えた不安を吐き出すように、児嶋は石沢とのやり取りを一つずつ思い出していく。

「なんだろうな、俺には言いにくいことだったか」
「僕の方が恐らく詳しいから、と言っていたので精神疾患に纏わるお話だったのではないかと……」

聞きそびれてしまった相談事、そして石沢が見せた異常な食欲。
まさか石沢は、過食症に陥っていたのだろうか。
だが、過食をこじらせてあのような怪物じみた姿になり果てる症例など、当たり前だが児嶋は一度も耳にしたことがない。
精神疾患とは別の問題が何かあったのだろうが、先程のやり取りからはそれ以上の情報は引き出せそうもなかった。

「雛芥子さん、財布の中を調べてもらってもいいですか」

ここは、唯一の残留物である財布の中身を浚ってみるしかない。
児嶋が促すと、雛芥子は懐から取り出した長財布の中身を実に警察官らしい手つきで一つずつテーブルの上へと並べていったが、現金の他は自身の名刺とキャッシュカード、免許証や保険証などといった類のものばかりで、先程の騒動に繋がるような代物は見当たらなかった。
だが、ひとつ気付いたことがある。

「石沢さん、どうやら自宅を仕事場にしていたようですね」

免許証に記載されている住所と、恐らく仕事用に製作したのだろう名刺の事務所所在地が一致していたのだ。
彼は出版社などに籍を置かず、フリーで活動するジャーナリストである。自宅と仕事場を兼ねていたとしても、なんら不思議はないだろう。

「なにかそこに手掛かりはないでしょうか……。雛芥子さん、行ってみませんか?」

財布から手掛かりを見つけることは出来なかったが、恐らく様々な資料の眠る自宅であれば、何かしらの痕跡ないし情報は必ず残っているはずだった。

「そうだな、行くしかねえか……。けどよ、お前は来なくていいんじゃねェのか?」

テーブル上に広げた品々を片付けながら、ふと雛芥子がこちらの顔を覗き込んでくる。

「顔色やべえし、こういった捜査はシロートさんには大変だろ」

家に帰って休んだ方がいいと気遣われてしまったが、しかし――不気味な謎を抱えたまま帰宅したところで、果たして休息を取る事が出来るのだろうか。
雛芥子と共に行動していた方がまだ気が紛れるかもしれないと、児嶋は彼の申し出に首を振る。

「いえ、石沢さんの相談事の内容も気になりますし。それに、さすがにあんなものを見たあと、一人になるのは少し……」

心細いのだと白状すると、雛芥子は児嶋の気弱な発言に驚いたのかその目を一瞬丸めた後、肩を揺らしながら苦笑を零しつつ、そう言うなら仕方がないと同行を了承してくれた。

「年上のおっさんに言われても嬉しくねェけど、まあ飯代立て替えて貰ってるからな。落ち着くまで面倒見てやるよ」

尊大な物言いであったが、そこに含まれたこちらへの気遣いと優しさに気付けぬほど児嶋も鈍い男ではない。

「お役に立てるかどうかは分かりませんが、お供させて頂きます」

あのような摩訶不思議で不気味な騒動を、医者と刑事の二人で果たして解決できるのかどうか――。定かではなかったが、消えた石沢の存在を夢幻に出来るほど児嶋は、そして恐らく雛芥子も、神経はそれほど太くなく、薄情にもなりきれない。
果たして肉塊と化した彼は、どんな事件に足を踏み入れてあのような末路を辿ってしまったのか。そして、その謎を解明したところで、自分たちは日常を取り戻す事が出来るのか。
考えれば考えるほど、不安ばかりが募っていく。
児嶋は沸き上がるそれを払拭するように勢いをつけて立ち上がると、雛芥子と共にコーヒーチェーンを後にしたのであった。



辿り着いた石沢の自宅は、それなりに築年数が経過しているらしい少し古めのアパートであった。
こまめに壁の塗り直しや修繕を施しているのか、外観は小奇麗に保たれていたものの、建物自体のデザインやその佇まいから醸し出される年季は拭いきれないまま、蓄積された滓のように漂っている。

「雛芥子さん、扉は開きますか?」

免許証に記された部屋の前に立ち、児嶋は隣の刑事へと伺い立てる。
事情があるとはいえ、捜査権限のない自分が不用意に石沢の部屋を物色するのはまずいかと尋ねてみたのだが、

「立件できねえ以上なァ、俺ァただの一般人としてここにいんの」

警察官という身の上とはいえ、令状もなにも取らないまま単独捜査を行う自身の立場は児嶋と同等であると彼はもっともな主張を述べた後、その懐から取り出した予備の白手袋を児嶋の胸元へと投げつけた。

「……それもそうですね」

万が一、通報された場合の言い訳は雛芥子に任せるとしよう。
そう密かに誓いつつ、児嶋は投げつけられた手袋の片方のみをまず装着すると、ドアノブに手を伸ばし、握りこんだそれをそっと静かに回してみる。
案の定、施錠はされていたものの、建物と同じくそこに取り付けられている鍵もどうやら古い型らしい事が感触から伝わった。
工具などを使えば、あるいは強引にドアノブへ力を加えれば扉を開くことが出来るかもしれなかったが、近隣住民の目もある故、そういった大胆な手段は控えた方が良いだろう。

「ま、開くわけねえよな」
「どうしましょうか……」
「聞き込みでもするか?」

言いながら雛芥子は石沢の隣室へ歩を進めると、慣れた様子で躊躇なく呼び鈴を鳴らし、扉の先の反応を待つ。

「……どちらさんですか?」

ほどなくして中から顔を見せたのは、三十代に届くか届かないくらいかの若い青年であった。
チェーンを掛けたまま応答する彼の表情に浮かんでいるのは、紛れもない猜疑。招かれざる訪問者に対し、不快感さえ示すような厳しい眼差しを向けている。
二メートル近い体躯の男に扉の前へと立ち塞がれては訝しまれても仕方がない。だが、雛芥子にはそんな相手の警戒心を解く、とっておきの切り札を持っている。

「お隣に住む石沢啓太サンについて、ちょーっと聞きたいことがありましてね」

言いながら彼が懐から取り出したのは、その中に黄金色の記章と己の身分を示す証票の配された警察手帳だった。
それを眼前に突きつけられた男はその表情に今度は戸惑いを浮かべてみせたが、大男の警察官がまるで二時間ドラマでよく見かける展開のように自らの元へ訪れたという現実が受け止められないのであろう、未だ扉のチェーンは外されないまま、すっかりと腰が引けてしまっている。
しかし、実際の聞き込みでもこのような状況に慣れているのか、当の雛芥子は飄々とした態度のまま、求める情報を相手から引き出すべく実に一方的な口調で用件を無遠慮に突き付けた。

「石沢サンね、行方不明になっちゃって。隣にいるこのご友人から相談を受けたんだけど……。なんか変わった事とかあれば教えて欲しいなあと思いまして」

石沢が行方不明であると告げられた男の顔は今度、驚愕によって歪められた。

「行方不明って、マジか……」
「どんな些細なことでもいいんです。教えてください」

児嶋が続けて懇願すると、男はしばし逡巡した後、ぽつりぽつりとその記憶から振り絞ったらしい石沢の様子を少しずつ語り始めたのだが、夜遅くまで部屋に電気がついていただとか、顔を合わせるたびに挨拶をしてくれたなどという事件には直接関わりのない情報が並べられるのみである。
だが、これ以上の話は引き出せまいと見切りをつけた児嶋たちがアパートから立ち去ろうとしたその直前、

「ああ、そういえば。たまに女の子が訪ねて来てたような……」
「女の子?」

突如、齎されたその存在に、児嶋は隣に立つ雛芥子と顔を見合わせた。

「雛芥子さん、なにかご存じですか」
「いや、聞いたことねえな。彼女か、それとも仕事仲間か……」

調べてみる価値はありそうだと雛芥子は零したが、その女が今度いつ石沢のアパートを訪れるのか、児嶋にはまるで見当がつかない。

「時間を置いて出直すとしよう。女がここに来るとすれば、多分夜だろ」

石沢との関係性が何であるにせよ、フリーのジャーナリストとして忙しく動き回る男の元を昼間に訪ねてくる人間はいないと雛芥子は言い切った。
確かに石沢の仕事ぶりから察するに、日中は各所への取材で歩き回っていただろうし、自宅に戻るのは陽がすっかりと落ちた後になるだろう。

「色々と調べておきたい事もあるし、俺は一旦帰るつもりだけど……。お前はどうする?」

一人で大丈夫かと尋ねられ、児嶋はしばしの沈黙を置いた後、頼りなげではあるが小さく頷き、幾分かは気持ちが落ち着いたと平静を取り繕う。

「では、また夜に落ち合いましょう。なにかありましたら、すぐに連絡してください」

そうは言ったものの、先程から悪心のようにこみ上げてくる不安と予感はなんなのか。
その答えは帰宅した直後、逃れられない白昼夢のように児嶋へと襲い掛かってきた。



「哲、わりぃ……。ウチ、来てくれないか」

時刻は午後六時を回った頃。
待ち合わせまでまだあと数時間猶予があったにも関わらず、児嶋の元に雛芥子から連絡が入った。

「構いませんが、どうされました?」

聞き慣れた低音が奇妙に掠れているような気がして、思わず児嶋はスマートフォンを耳に当てたままソファから立ち上がる。
彼は、助けを求めているのではないだろうか。
そう思い当たった瞬間、蘇る石沢の歯列の肉塊――。
まさか、と目を見開いた瞬間、胸を過った悪い予感が現実となり、容赦のない悪鬼のように降りかかってくる。

「俺、死ぬかもなァ」

いつもと同じ飄々とした口調ながらも、切実さの滲む声音はやはり児嶋へと助けを求めていた。

「物騒なことを言わないでください。今すぐ行きますから」

雛芥子の身になにが起こったのか。
まったく予想はつかなかったが、先ほど最悪の事態を目の当たりにしたばかりの児嶋は居てもたってもいられず一方的に通話を切り上げると、財布や鍵などの必要最低限の持ち物だけをその手に引っ掴み、ほとんど飛び出すようにして自宅マンションを後にした。

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