天下無双の究極遊戯

Vtuber戦国時代を斬り進む尾張の女武将

八、接触

マンションへ帰宅したそのすぐ後、児嶋は自らのスマートフォンを取り出すと、ヒカルから受け取ったメモに記載された電話番号を入力し、カウンセラーである韮崎との接触を早速と試みた。

「……はい、こちら韮崎です」

ほどなくして受話口から聞こえてきたのは、耳障りの良い落ち着いた声音である。

「夜分遅くに申し訳ありません。そちらのカウンセリングに通っている原田ヒカルさんからの紹介なのですが……。緊急で診て頂きたい摂食障害患者がいるのですが宜しいですか」

相変わらずの単刀直入な物言いに、雛芥子が隣で呆れたような溜息を零したが気になどしてはいられない。
探し求めていた手掛かり――否、事の真相が、すぐそこまで近づいてきているのだ。

「ああ、ご紹介をお受けになった方ですね。緊急での診察という事は、よほど深刻な状況なのかしら」

電話越しの女はというと、児嶋の前のめりな言動に臆した様子もなく、実におっとりとした穏やかな口調で通話に応じている。
深刻な摂食障害と告げたにも関わらず、落ち着いた態度を保っていられるのは治療によほど自信があるのか、それとも何か別の理由が存在するのか。
どちらにしろ、得体の知れない女には違いないと児嶋は眉根を僅かに寄せながら会話を続けることにした。

「ええ、過食の症状があまりに酷くて自らの血も啜り呑むほどでして。宜しければ明日にでも診て頂きたいのですが」
「まあ、それは大変。そうね、明日ですと……」

そうして取り付けた約束の日時は明日の十三時、指定された場所は駅前のとあるタワーマンションの一室であった。
どうやら彼女のカウンセリングは、他のクリニックのように大っぴらな店舗を構える形態ではないらしい。
住居用マンションの一室で客を迎え入れるエステ店などの存在は珍しくもないが、やはり胡散臭さは拭えない。

「……雛芥子さん、明日のカウンセリング内容は真面目に聞かなくても大丈夫ですから」

通話を終えた後、児嶋は隣に座る雛芥子に対し、厳しい表情で忠告を始める。

「ヒカルさんはまるで洗脳されているようでしたから、今のあなたにとって韮崎というカウンセラーは危険な存在になるかもしれません。摂食障害を患う人間に、なにかしらの催眠療法を行っている可能性もあります」
「勝手に予約しといて気をつけろたァ、お前……」

許諾もなく名前を使用され、一方的に予約を取り付けられてしまった事を根に持っているらしい雛芥子は不満げな声を漏らしたが、児嶋の見立てに対しては反論がなかったようで、

「まァ、そうだな。ヒカルちゃんの様子を見る限りだと、その韮崎って女はロクな治療をしてなさそうだし」

天井を仰ぎながら、渋々といった様子ではあったものの児嶋の提案に同意を示してみせた。

「ええ。ですから、雛芥子さんは食べたい中華料理でも考えながら話半分でいてくださいね」

韮崎の話は自分が聞いておくと宣言したところ、雛芥子は露骨に不安げな表情を浮かべたが、他に解決の糸口をつかむ方法はないと改めて思い直したのだろう。

手羽餃子のことでも考えながらやり過ごすか……」

その身をソファへと深く沈め、やれやれと盛大な溜息を零しながら肩をがっくりと落としたのであった。



その日の夜、雛芥子がソファで眠り続ける傍ら、児嶋はひとりデスクへと向かっていた。
自身も寝室で休息を取ろうかとも思ったのだが、いつ雛芥子が自我を失い、冷蔵庫の中身を漁り出すか分からない。
それならば溜まった仕事を片付けながら、就寝する雛芥子の様子を見守っていようと夜を徹する事に決めたのだ。
今のところ容体に変化はないらしく、実に呑気な寝息のみが背後から聞こえてきているものの、昼間に目撃した自らの唇から流れる血を無心に啜っていた雛芥子の悍ましい姿を思い出した児嶋は改めて気を引き締め、眠気覚ましのコーヒーをひと口啜った後、彼の様子を窺うべく後ろを振り返った――その時である。

「――ッ、ぐ……!」

ソファ上から零れた微かな呻きを、児嶋は聞き逃さなかった。

「雛芥子さん……?」

声を掛けるが、反応はない。
寝言か何かだろうかと訝しんだその直後、ソファへと横たわっていた雛芥子の体がびくりと跳ね上がると同時、激痛を堪えるような咆哮じみた声があげられた為、慌てて児嶋は彼の元へと駆け寄った。

「大丈夫ですか、雛芥子さん!」
「っ、くそ……!」

その身を横たえたまま、雛芥子は自らの腹を抱えるような姿勢でのたうち回っている。
まさか、腹中の化け物が暴れ出したのか。
しかし、そうだとして今の児嶋に何が出来るだろうと適切な対処を施せないまま狼狽していたところ、雛芥子の瞳がゆっくりと開き、児嶋の不安げに歪んだ顔をその双眸に捉えて苦笑を象った。

「……悪かったな、起こしちまって」

どうやら、軽口を叩けるまでには症状が落ち着いたらしい。
「気休めにしかならないかもしれませんが、牛乳でも温めましょうか」
医師という立場でありながら、彼に処置らしい処置を何も施せない自らの不甲斐なさに歯噛みしつつ、児嶋は立ち上がると冷蔵庫から取り出した牛乳を電子レンジにて手早く温め、カップに注いだそれを未だ苦しげに眉を寄せている雛芥子へと差し出した。

「胃がビックリするかもしれませんから、ゆっくり飲んでください」
「……ああ」

その後、受け取ったカップ内の牛乳を少しずつではあるが流し込んでいく雛芥子の姿を注意深く観察してみたものの、謎の発作はその鳴りを潜めたらしく、児嶋はほっと胸を撫で下ろす。
彼が自我を失うたび、そして苦しむたび、脳裏にあの惨状が蘇るのだ。
円卓の上にごろりと転がっても尚、並んだ料理を貪り食おうとした歯列と舌先。
あのような光景を二度も目の当たりにしてしまったら、児嶋はいよいよ正気を失うだろう。

「僕はしばらく仕事をしているので、また何かあったら言ってください」

そんな不安を払拭するように児嶋はデスクへと向かったのだが、背中越しの気配がなにやらごそごそと、落ち着きなくいつまでも蠢いていた為に仕事が手につかず、何事かと振り返ると、

「……雛芥子さん?」

彼はその身を起こし、石沢宅から持ち帰った資料のファイルを捲っていた。
再びの発作を恐れ、眠るのを諦めたのだろうか。
児嶋がそう訝しんでいると、こちらの視線に気づいたらしい雛芥子が顔をあげ、その口元ににやりとどこか悪戯っぽい笑みを浮かべながら小さく肩を揺らしてみせた。

「お前、寝るつもりないんだろ。だったら俺も起きてるから、夜食でも用意してくれると助かるんだけどなァ」

思わぬ言葉に、面食らう。
どうやら彼は、児嶋が夜を徹するつもりでいることを察して自らも就寝する事を止めたようだ。
それは自我を失い飢餓に取り憑かれる事態を恐れてのことなのか、はたまた雛芥子の為に休息を取らないと決めた児嶋に対する気遣いなのか――その真意は掴めなかったが、だらしのない見た目に反し、意外と義理堅く優しい一面もあるのだなと密かに感心する。

「では、ゼリーで良ければお出ししましょうか。少しは腹の足しになるかもしれません」

出来れば炭水化物を用意してやりたかったが、石沢、そしてヒカルの食欲に取り憑かれた様子を目の当たりにしてしまった以上、やはり固形物を与えるのは気が引けた。
しかし、流動食であるクラッシュゼリーならば満腹感は得られないかもしれないが栄養価はそれなりに高いので飢えは凌げるはずだと提案すると、雛芥子は不服そうにその表情を歪めたが、空腹には勝てなかったのだろう、児嶋の手から渋々といった様子で差し出されたクラッシュゼリーの容器を受け取ったのであった。

第7話第9話