天下無双の究極遊戯

Vtuber戦国時代を斬り進む尾張の女武将

鷹山の日常

自動ドアを潜ったその瞬間、耳を劈く騒音は遠のき、心地よい雑踏が疲れた鼓膜へと染み入るように馴染み始める。
鷹山は抱えた紙袋から板チョコを一枚取り出すと、行儀が悪いのは重々承知していながらも包装を破いてそれを齧りつつ、鼻歌交じりに繁華街へと歩き出した。

「今日も快勝だったなあ」

ギャンブルでの大敗が一度もないという事が唯一の自慢である鷹山はというと、非番の日が訪れるたびに朝から約半日に渡って今日のようにパチンコ店、もしくは競馬場ないし競艇場へと入り浸っているのだが、運が良ければ数万円、悪くても数百円の儲けを必ず手にしてきた。
ちなみに本日の収支はというと、元手千円に対して戻ってきた額は数万円の大勝である。
自らの足元にドル箱が積み上がっていく様は、いつ見ても痛快だ。
近頃では電子化が進み、パチンコ玉が外部へと排出されずに手持ちのカードへ記録されていくというハイテクを採用している店も多いらしいが、それではあまりにも味気がないとあえて鷹山は大型店舗ではなく、昔ながらの小さなパチンコ店をその日の気分で巡っては多額の現金、そして端数合わせの菓子類を持ち帰る日々を送っている。
さて、これからどうしようか。
このまま自宅へ帰っても良かったが、折角儲けたのだ。どこかで豪勢な食事でも楽しみたい所である。
赤信号で立ち止まり、これからの予定を思案していたその最中、鷹山はふと視線を感じて自らの足元を見下ろした。
そこには、母親に手を引かれたスモック姿の男児がひとり。
どうやら彼は、往来で堂々とチョコレートを齧る鷹山に興味を持ったらしく、羨望に満ちたキラキラとした眼差しでこちらをじっと見上げていた。

「はい、おすそ分け」

こうも熱心な眼差しを向けられては仕方がないと、鷹山は苦笑を浮かべながら抱えた紙袋に手を入れ中を探ると、未開封の板チョコをもう一枚取り出し、それを男児へと差し出した。
本来であるならば、鷹山は「知らない人から物を貰ってはいけません」と子供たちに諭す立場なのだが、なんせ今日は気分が良い。
純粋無垢な児童に菓子を分けてやるくらいの親切を見せてやろうと鷹山は微笑んだのだが、

「すみません、うちの子が。大丈夫ですから」

しかし、差し出したチョコレートは男児の手に渡ることはなく、青信号が灯るのと同時、彼は母親に手を引かれてそそくさとその場から立ち去ってしまった。
その去り際、母親から実に鋭い警戒の眼差しを突き付けられてしまったのだが、仕方がない。
道端でチョコレート菓子を幼児に配り歩く中年など、怪しいに決まっているのだから。

「……しっかりしたお母さんだね」

多少の侘しさを覚えつつも鷹山は取り出した未開封のチョコレートを再び紙袋へ無造作に突っ込んだ後、歩みを進めながらふと思い立ってスラックスの後ろポケットからスマートフォンを取り出し、とある男の番号を画面上へと呼び出した。
表示された名前は、児嶋哲。名古屋市内の病院にて勤務している精神科医だ。
通常の外来患者のみならず、拘置所の被疑者に対する診察も行う彼とは数年の付き合いになるが、精神科医らしかぬ無神経な振舞いと――本人は至って真面目に他人と接しているつもりらしいが――あまりにも直情的な言動は外から眺めている分には非常に愉快で飽きる事がない。
そんな彼を食事にでも誘ってみるかと通話ボタンを押して数秒。
タイミングよく診察が終わっていたらしい彼はこちらのコールに驚くほど素早く応答し、淡々とした物静かな声音で応答をしてくれた。

「あ、先生。良かったら今夜、デートしない?」

こちらの軽口をいとも容易く受け流し、冗談も通じず、何事も本質だけを見極め、剛速球のストレート一本で対人関係を乗り切ろうとするなかなかの朴念仁相手に、わざと揶揄うような口調でディナーの誘いを持ちかけてみたのだが、

「ええ、構いませんよ」

こちらの期待はいとも簡単に打ち砕かれ、実にさっぱりとした――否、面白みのない返答を今日も即座に突きつけられてしまった。
それが彼の良いところでもあり、悪い所でもあるのだが、鷹山はあえてそれらを指摘しない。
自由気ままに、周りを困惑させる児嶋の姿を眺めるのがとにかく楽しかったのだ。

「じゃあ、病院出たら連絡してよ。迎えに行くから」
「分かりました、では」

早々に通話は途切れてしまったが、会話の余韻というものに興味がない児嶋らしい振舞いだと鷹山は愉快げに肩を揺らしながら苦笑を浮かべると、さてどの店に行こうかと手にしたスマートフォンで今度はグルメサイトを開いたのであった。



二人が訪れた店は、繁華街の最中にある高級中華料理店だった。
グルメ番組や情報誌などでたびだび取り上げられているこの店舗に鷹山が訪れるのは初めての事であったが、どうやら児嶋の方はそうではないらしい。
なにやら浮かない表情をしていたので、もしや中華が苦手だったのか、はたまたこの店を選択したことが間違いだったのだろうかと尋ねてみたものの、らしくもなく児嶋は言葉を濁すばかりでその真意を打ち明けようとはしなかった。
無理に口を割らせる事もないだろうと鷹山はそれ以上の追求を止めると、運ばれてきた水餃子を口に運びながら、話題の変更がてら当たり障りのない近況を今度は尋ねてみる。

「児嶋さん、最近どう?」

なにか楽しい事はあったのかと声を掛けたところ、しばしの沈黙を挟んだ後、再びその表情を曇らせ、しどろもどろに視線を彷徨わせながら児嶋はぽつりぽつりと自らの近況を語りだした。

「実は数ヶ月前、別の知人とこの店に来たんです」
「へえ」
「あとは、一人でお寿司を食べに行ったり……」

瞬間、児嶋は口ごもり、その頬を僅かに赤らめながら気まずそうに、しかし打ち明けずにはいられなかったのか、蚊の鳴くような小さな声でもう一つ近況を付け加えた。

「……窃視症の患者を、診ました」

窃視症とは、所謂〝覗き行為〟の事だろうか。
特に貧乏をしているわけではないというのに、ストレス解消行為として万引きをしてしまう窃盗症に類似するその病は、自らの意志に反して他人の性行為などを盗み見ずにはいられないというやっかいな症状だったと記憶している。
職業柄、鷹山や児嶋にとって窃視症の患者は珍しくもない存在なのだが、彼はなぜ触れてはいけない禁忌に触れたかのように顔を赤らめているのだろう。
よほど過激な覗き行為を行っていたのか。それとも、鷹山が把握していなかっただけで児嶋は性的な話題が苦手であったか――。

「あの、鷹山さん……」

頬の熱が冷め始めた頃、児嶋は意を決したように口を開き、不安に揺れる眼差しで鷹山を真っすぐと見据えた。

「鷹山さんの身の回りで最近、奇妙なことは起こっていませんか」
「奇妙なこと?」
「非科学的な出来事というか、超常現象というか……」

どちらかと言えば現実主義者であろう児嶋がこんなことを言い出すとは、まったくもって意外だった。

「どうしちゃったの、児嶋さん」

今日の彼は、どうにも様子がおかしかった。
普段の児嶋であれば、例えブラウン管の中から髪の長い亡霊が這い出てきたとしても動じないであろう無心の男であるというのに、一体なにが彼の心をここまで掻き乱しているというのか。

「僕にも、よく分からないんです。ここ最近、奇妙な事件によく巻き込まれてしまって……」

犯罪絡みの事件であれば力になれるのだが、悩みのタネは先ほど彼は「非科学的な出来事や超常現象」であると言っていた。
残念ながら霊感などはさっぱり持ち合わせていない故、鷹山には手も足も出せそうにない。
だが、児嶋にとってはなかなか深刻な事態らしく、その表情は不安げなまま、情緒も落ち着かない様子であった。

「僕だけじゃないんです。僕の周りにいる方々も巻き込んでしまっている状況でして」
「俺にも妙なことが起きてるんじゃないかって?」
「ええ……」

見えない〝なにか〟に怯えるその様は、端から見ればノイローゼとしか映らないだろう。
ミイラとりがミイラになるという言葉通り、精神科の医師は患者を診ているうちに負の感情を吸収してしまうという話をよく聞くが、児嶋の様子はそれとはまったく違った危うさが漂っているように思えた。
そしてこれは刑事の勘というやつだが、これは虚言でも何でもない、実際に児嶋はなにかしらの脅威に触れ、心の底から本当に怯えているのだろうと根拠はないが確信していた。

「今のところ、俺は平気だよ。今日もパチンコで大勝ちしたから、こうやって先生のことご飯に誘ったんだし」
「それなら良いのですが……」
「意外と健気なとこあるんだねえ、先生も」

とりあえず、この場はその児嶋に降りかかったという事件内容を掘り下げるより、彼の気持ちを落ち着かせることが最優先だろうと鷹山は努めて明るく微笑むと、強引に話題を切り上げ、食事の手を進めたのであった。



その後、鷹山は愛知県警資料室にて、児嶋が巻き込まれたという、とある二つの事件の報告書を発見する事となる。
それからほどなくして、自身にも非科学的な超常現象が降りかかるのだが――それはまだ、先の話だった。